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ムービーの歴史をみてみよう

影絵(かげえ)や写し絵の时代とソーマトロープの発明

ムービーが発明される以前にも、映像を投えいしてたくさんの人が楽しむ技术がありました。それが影絵(かげえ)や幻灯(げんとう)(写し絵とも言います)です。
影絵(かげえ)は、光源からスクリーンに强い光を投射し、その间に纸や木の板、薄い(うすい)金属などの材料で作った光を通さない人形を入れて动かす…というものです。単纯な影(かげ)だけのものから、人形に色ガラスをはめ込んだ影絵(かげえ)もあり、中でもマレーシアやインドネシアなど东南アジアの伝承芸能として伝わっている影絵(かげえ)は、たいへん精巧(せいこう)で美しい影絵(かげえ)として知られています。

また、幻灯(げんとう)は、光を通すインクでガラス板に絵をかき、これをスクリーンにつぎつぎと映して、纸芝居(かみしばい)のように物语を伝えるものです。日本でも昭和の初期まで、家庭でも使える幻灯(げんとう)机が作られていました。

影絵(かげえ)は动きが表现できますが、そのつど、人形を动かして演じる必要があり、この点で演剧に近いものです。また幻灯(げんとう)は、投えいする絵さえあればいつでもどこでも上映できますが、动きを表现することはできません。むしろ写真に近いものといえます。どこでも、また、いつでも楽しめる「动く映像」は、多くの人が求めていました。

年数 出来事
1824年 &濒迟;ピーター?マーク?ロジェ&驳迟;
ロンドン大学で生理学を研究。
人间の视覚に残像が起こることを确かめる。
头の中に届いた映像のイメージは、次の映像がやって来るまでの间は保存され、次の映像が重なることで动きを感じとれることも発见。ここからムービーの开発が始まる。
1825年 &濒迟;イギリスの医师 ジョン?础?パリス&驳迟;
&濒迟;奥?フィトン&驳迟;
残像を利用したソーマトロープという玩具(がんぐ)を発明。 円盘(えんばん)の表と里に2种类の絵(例えば「鸟」と「鸟カゴ」など)がかかれており、左右についたひもを使って回転させることで、2つの絵が重なったひとつの絵に见えるというもの。

たいへん単纯な道具ですが、これが现代までつながるムービーの原点といわれています。

东南アジアの民族影絵(かげえ)とその人形

东南アジアの民族影絵(かげえ)とその人形

幻灯机(げんとうき)と影絵(かげえ)

幻灯机(げんとうき)と影絵(かげえ)

ソーマトロープ

ソーマトロープ

さまざまな&辩耻辞迟;原始&辩耻辞迟;ムービーの発达

2种类の絵だけではなく一连の动きを表现するものとして、先にフリップブックをしょうかいしました。ムービーの発达ではソーマトロープに続き、このフィリップブックのしくみを机械的にコントロールして楽しめる道具が続々と生まれました。

年数 出来事
1832年 &濒迟;ジョゼフ?プラトー&驳迟;
ベルギーの数学者。
回転できる円盘(えんばん)に连続した絵をかいたフェナキスティスコープを発明。

?フェナキスティスコープ
镜に円盘(えんばん)を写しておき、円盘(えんばん)を回転させながら円盘(えんばん)の一部にあるスリットを通してのぞくと、絵が动いて见えるもの。

スリットによって絵が断続的(けいぞくてき)に见えるしくみは、その后のムービーのコマ送りにつながる工夫でした。
1877年 &濒迟;エミール?レイノー&驳迟;
フランスの発明家であり自然科学の教授。
スリットの细工を絵とは别の円盘(えんばん)に作り、镜を使わなくても动く絵が见られるようにしたヘリオシネグラフや、内侧に絵をかいた円筒(えんとう)を回転させ、絵の间にあるスリット(细い切れこみのこと)からのぞきこむゾートロープ(1834年にイギリス人のウィリアム?ホーナーが発明)などを経て、プラクシノスコープを製作。

?プラクシノスコープ
ゾートロープのスリットの代わりに、复数の镜をおいて像を写すもので、周囲からたくさんのひとがのぞき込めるというのが特ちょう。
1882年 &濒迟;エミール?レイノー&驳迟;
プラクシノスコープを改良して投影式(とうえいしき)とし、スクリーンに映し出す方式を開発。 さらに、世界で最初の映画とされるフィルム映画『一杯のビール』を完成させた。
1888年 &濒迟;エミール?レイノー&驳迟;
パーフォレーションのついたフィルムを上映するテアトルオプティークを製作。ムービーの発达をさらに加速させた。

テアトルオプティークはたいへんな评判を呼び、パリで行われていた上映会には1900年までの间に50万人が来场したといわれています。
フェナキスティスコープ

フェナキスティスコープ

ヘリオシネグラフ

ヘリオシネグラフ

プラクシノスコープ

プラクシノスコープ

投えい式

投えい式

テアトルオプティーク

テアトルオプティーク

エジソンの「动く写真」からセルアニメーションの発展

このようなムービーの评判を闻いて、発明意欲にかられた人の中に、有名なアメリカの発明王トマス?エジソンがいました。

年数 出来事
1893年 &濒迟;トマス?エジソン&驳迟;
シカゴ万国博覧会で、「のぞきからくり」とも呼ばれたキネトスコープを発表。

?キネトスコープ
投影式(とうえいしき)ではありませんでしたが、それまでの絵を使ったムービー(アニメーション)ではなく、写真を使った映画に近い映像が见られることが特ちょう。

また、撮影(さつえい)装置「キネトグラフ」も开発。
1895年 &濒迟;フランスのオーギュスト?リュミエール、
ルイ?リュミエール兄弟&驳迟;
スクリーンに映像を映し出す写真による映画「シネマトグラフ」を开発。
エジソンのキネトスコープはまだ「动く写真」でしたが、これは初めて映画と呼べるものでした。

リュミエール兄弟はこの年の12月28日(现在、映画の诞生日とされている)にパリのグラン?カフェで、シネマトグラフを见せてお金を取るビジネスを行いました。现在の映画馆での上映形式は、このときに始まったのでした。
1914年ごろ &濒迟;ジョン?ランドルフ?ブレイ&驳迟;
イラストレーター。
とう明なプラスチックフィルムにかいた絵を重ねて动かすセル?アニメーションが开発。
以后、现在に至るまで、アニメーションの基本製作技法となりました。
トマス?エジソン 「のぞきからくり(キネトスコープ)」

トマス?エジソン 「のぞきからくり(キネトスコープ)」

リュミエール兄弟「シネマトグラフ」

リュミエール兄弟「シネマトグラフ」

セル画

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