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レンズと反射镜

月のクレーターを発见したのはガリレオって、ほんと?

ピサの斜塔(しゃとう)で実験をしたガリレオ

ガリレオ?ガリレイ(1564-1642)は、天文学者としてよりも、「物体の落下」や「ふりこの运动」について考えた物理学者として有名です。
ガリレオが生まれたイタリアのピサの街には、『ピサの斜塔(しゃとう)』という建物があって、世界遗产になっています。
ガリレオは、この建物のてっぺんから鉄の玉と木の玉を同时に落として、同时に着地するのをたしかめたといわれています。

また、ピサには、『ドゥオーモ』という大圣堂があって、これも世界遗产になっています。
ガリレオは、ここのシャンデリアがゆれるのを见て、「ふりこは大きくゆれているときも小さくゆれているときも往復にかかる时间は同じ」という『ふりこの等时性(とうじせい)の法则』を発见したといわれています。

ピサの斜塔

ピサの斜塔(右)とドゥオーモ(左)
ガリレオは斜塔から玉を落として、「落下するときの时间は落下する物体の重さに関係がない」という『落体の法则』を証明しました。ただし、この话はあとからの作り话で、実际には、ななめのレールの上を重さがちがう玉を転がしたということです。

よく见える望远镜って、どんなの?

最初の望远镜は、オランダのメガネ屋さんが作ったのがはじまりだということです。ハンス?リパシューという人で、1608年のことでした。
その次の年、望远镜のことを知ったガリレオは、自分で作ってみることにしました。その望远镜は、どんな望远镜だったのでしょう。

ガリレオが作った望远镜は、対物レンズにとつレンズ、接眼レンズにおうレンズを使った「くっ折望远镜」でした。

それまで月は、カガミのようにすべすべしていてキズがない、と考えられていました。
ガリレオは、この望远镜で観察し、すぐに月がでこぼこであることに気づきました。そして、スケッチして絵に残しました。
ガリレオは、月だけでなく、太阳やほかの星も観测しました。そして、

  • 月と同じくキズがないはずの太阳にも黒いシミ(黒点)がある
  • 月が満ちかけするように金星も満ちかけする
  • 木星のまわりに4つの星(卫星:えいせい)があって木星をまわっている
  • 天の川は无数の星の集まり

ということなどを、発见しました。

ガリレオの望远镜

ガリレオの望远镜

正しいガリレオはなぜ裁判で负けた?

ガリレオが生きた17世纪ころは、科学的な考え方よりも宗教的な考え方が大事にされた时代でした。
キリスト教の教会のえらい人たちは、「地球が宇宙の中心だ。地球のまわりを太阳がまわっている」という『天动説(てんどうせつ)』を信じていました。
「地球が太阳のまわりをまわっている」という『地动説(ちどうせつ)』も研究されていましたが、コペルニクス(1473-1543)をはじめとする地动説の学者たちは、ずっとはく害されていたのです。
金星の満ちかけを発见したガリレオは、「満ちかけするのは、太阳が金星を照らしているからで、太阳が宇宙の中心だ」と考えました。
「やっぱり地动説が正しい」と思ったのです。けれど、地动説の正しさを人々にうったえるのは命がけのことでした。地动説を支持する学者はふえていたものの、宗教関係者はとてもがんこで、裁判にかけられて処けいされる危険があったからです。
ガリレオは宗教裁判にかけられ、「有罪」となってしまいました。死けいにはならなかったものの、死ぬまで家に见张りがつき、散歩以外で外出することを禁じられました。

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