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光の“正体”は?

ニュートンもわからなかった光の正体

「光は粒子」と考えたニュートン

人间が生きていくために「光」はなくてはならないものです。そのため、光の研究や応用には、数千年の歴史があります。
现存する一番古いレンズは、纪元前700年顷のメソポタミア遗跡から発掘されたものです。
17世纪には、望远镜や顕微镜が発明されたり、光に速度があることが発见されたりしました。
しかし、「光とは何か」という光の”正体”はよくわかっていませんでした。

初めて物理学の面から光を研究したのは、万有引力の発见で有名なニュートン(1643-1727)です。
17世纪后半にニュートンは、性能の高い望远镜を作ろうとしたことをきっかけに、光の研究を始めました。ニュートンは、太阳光をプリズムに通して、虹色のスペクトルを生み出す実験をして、光にはさまざまな色の光が含まれていることを示しました。
太阳光のような白色光(色の付いていない光)は、色のついた光が重なり合ったものだとわかったのです。

ニュートンの着书『光学』では、このスペクトルの実験のほかに、「光は粒子である」という説が発表されました。
光がつねにまっすぐ进む性质や、镜などで反射する性质は、光が粒子だと考えれば理解できます。

前:ガリレオの望遠鏡、後:ニュートンの望遠鏡

ニュートンも望远镜の研究をした
(前:ガリレオの望远镜、后:ニュートンの望远镜)

アイザック?ニュートン

アイザック?ニュートン

「光は波动」と考えた时代

しかしニュートンの「粒子説」では、「光とは何か」という疑问に答えられませんでした。
光が粒子だとすると、光が障害物の后ろにも伝わる现象(回折)や、光が重なると强めあったり弱めあったりする现象(干渉)のしくみをうまく説明できなかったのです。

ニュートンと同じ时代に、「光は波动である」と主张する科学者が现れました。
ホイヘンス(1629-1695)は17世纪末に、「ホイヘンスの原理」を発表し、「光の波动説」を提唱しました。
光が波动だとすれば、「粒子説」で分からなかった回折や干渉などの现象も理解できました。
光の波动説は、その后も様々な実験で証明され、「光は波动」と考える时代が到来しました。

19世纪中顷には、マクスウェルが「电磁波理论」を完成させました。
电磁波とは空间を伝わる波动で、电波や齿线などがありますが、光もそうした电磁波の一种であることを証明しました。

クリスチャン?ホイヘンス

クリスチャン?ホイヘンス
オランダ出身。天文学者でもあり土星の轮を発见した。

现代物理学が明らかにした「光の正体」

19世纪末には、私たちの目に见える光学现象の多くは「波动説」でうまく説明できるようになっていました。
しかしその一方で、やはり光を粒子と考えなければ理解できない现象も见つかってきました。
そうした现象を解明するために、20世纪初めにアインシュタイン(1879-1955)は、光の粒子である「光子(フォトン)」を提唱し、「光の粒子説」を復活させました。
现代物理学では、「光は粒子と波动の両方の性质を持つ」と考えられています。

アルバート?アインシュタイン

アルバート?アインシュタイン

ニュートンとフックの対立

ニュートンは光の正体をめぐって、波动説を唱えるフック(1653-1703)と対立したとされています。
フックはニュートンと同じイギリスの科学者で、细胞の顕微镜での観察や、「フックの法则」(バネの伸び缩みの法则)の発见で有名です。
顕微镜を使って鉱物の色を観察する研究もしていました。
17世纪后半にニュートンが光の粒子説を発表すると、フックはすぐに光は波动だと反论しました。
ニュートンとフックはこの后も何度も対立して、论争を繰り広げました。

ロバート?フック

ロバート?フック
物理学と生物学の両方で活跃した

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