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柿渋色

柿渋色(かきしぶいろ)
柿渋色(かきしぶいろ)は、色づく前のカキの実をしぼって作られます。不思议なことに、青いカキの実から深みのあるこげ茶色が生まれ出てくるのです。
カキは、日本人にとてもなじみ深い果物です。现在のカキは、中国から奈良(なら)时代に伝来したといわれていますが、原种のタネは弥生(やよい)时代の遗跡から出土していて、カキとの付き合いはかなり古いようです。そんなカキの木は、家の庭先、田や畑のそば、お寺の门前など、日本中のありとあらゆる场所に植えられきました。
「里古りて(さとふりて)柿(かき)の木もたぬ家もなし」と、江戸(えど)时代の俳人?松尾芭蕉(まつおばしょう)はよんでいます。明治时代の正冈子规(まさおかしき)は、あまりに身近で俳句や和歌によまれることの少ないカキを、积极的に题材にしました。子规の有名な俳句には、「柿(かき)くへば鐘(かね)が鸣るなり法隆寺(ほうりゅうじ)」があります。

シブ~いカキだから役に立つ

カキは、盛夏に実をつけ、初秋に向けてどんどん実が大きくなります。もし青い実を见つけたら少しだけかじってみてください。しぶくてすごくいやな味がします。カキにはあまガキとしぶガキがありますが、あまガキでも青いうちはしぶく感じます。このしぶさの正体が、『カキタンニン』という成分です。カキタンニンは食べるのには不向きですが、うまく抽出(ちゅうしゅつ)して&辩耻辞迟;柿渋液(かきしぶえき)&辩耻辞迟;にするとさまざまに利用することができます。カキの実は、熟してくると种の周囲にカキタンニン成分が集まってしぶくなくなってくるので(これで甘くなります)、柿渋液(かきしぶえき)をとるには、カキタンニンが豊富な青い実を使います。すりつぶしてしぼってとる液は、青いカキと同じ青緑色ですが、纸や布にぬると柿渋色(かきしぶいろ)が出てきます。カキタンニンには、酸化してこげ茶色になる性质があるからです。

カキの実

カキタンニン豊富な未熟なカキの実。カキタンニンは、赤ワインなどにふくまれるポリフェノールの一种アントシアニンの仲间だ

柿渋染(かきしぶぞめ)の布はビニール代わり

京都府南部の南山城地方には、いまでも柿渋液(かきしぶえき)を生産する『柿渋屋(かきしぶや)』がいくつかあります。作られる柿渋液(かきしぶえき)は"山城渋(やましろしぶ)"と呼ばれていますが、かつては"会津渋(あいづしぶ)" "越中渋(えっちゅうしぶ)" "信州渋(しんしゅうしぶ)"などがあり、日本各地で生産されていました。カキタンニンには、水をはじいたり、くさりにくくする作用があるため、化学薬品のなかった昔、柿渋液(かきしぶえき)はたくさん生産され、いろいろな方法で使われていたのです。紙や布に厚ぬりするとかさやカッパの材料に重宝です(ビニールの代わりですね)。漁業で使うあみをじょうぶにしたり、住宅の柱やかべの塗料(とりょう)にも使われました(コーティング剤の代わりですね)。漢方薬や、清酒のにごりをとるてん加物としても利用されてきました。最近では、天然塗料(とりょう)として再注目されていて、住宅に使われることが多くなっているそうです。

柿渋で染めた伞

柿渋で染めた伞

歌舞伎(かぶき)の伝统色でもある柿渋色(かきしぶいろ)

柿渋色(かきしぶいろ)は、意外によく目にしているはずです。なぜなら、日本の伝统芸能の歌舞伎(かぶき)の『定式幕(じょうしきまく)』に使われているからです。この言叶にピンとこなくても、幕のデザインは「かぶきあげ」というおせんべいの袋に使われたりしていますから、色を思い出せるのではないでしょうか。定式幕(じょうしきまく)は3色で、?萌葱(もえぎ)色??柿(かき)色??黒?の縦じまです。「柿(かき)色」というと一般には色づいたカキの実の色、黄赤色をイメージしますが、歌舞伎(かぶき)では「柿渋色(かきしぶいろ)」のことです。柿渋色(かきしぶいろ)は「団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)」ともいわれ、役者の市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)と市川家(成田屋一门)のシンボルカラーにもなっています。

定式幕

いつも使われている幕なので「定式幕(じょうしきまく)」という。歌舞伎(かぶき)の舞台(ぶたい)にはいつもかかっている

黒船が持ち帰って広めた碍础碍滨

カキの学名は&辩耻辞迟;办补办颈&辩耻辞迟;です。英语でも&辩耻辞迟;办补办颈&辩耻辞迟;といい、世界共通に『カキ』と呼ばれています。
なぜかというと、世界各地で作られているカキは、日本から広まったものだからです。
日本では、昔から干しガキが旅人の携行食に利用されていて、おいしいカキができると持ち运んでタネを各地で植えていました。そのため日本のカキは、あまくておいしいものに品种改良されて広がりました。江戸(えど)时代末期に黒船でペリーがやってきたときには、カキのおいしさにおどろき、アメリカに持ち帰ったということです。
明治时代に岐阜県で発见された「富有柿(ふゆうがき)」は特に评判が高く、さらに世界各地に広まるようになりました。

この记事の笔顿贵?プリント

監修者(かんしゅうしゃ)吉岡 幸雄(よしおか?ゆきお)先生について
1946年京都生まれ。早稲田大学卒业后、美术図书出版社「紫红社(しこうしゃ)」を设立。日本の伝统色や染织史(せんしょくし)の研究を行ってきた。88年生家「染司よしおか(※)」5代目を継承(けいしょう)。最近では、海外で展示会や讲演をする机会も多く、日本の伝统色のすばらしさを世界に広めている。

※&苍产蝉辫;江戸时代から続く京都の染屋。昔ながらの「植物染」を伝える工房(こうぼう)で、製品は东大寺、薬师寺などの伝统行事にも役立てられている。

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